バッバ・ワトソン, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2407598 / CC BY SA 3.0
#アメリカ合衆国の男子ゴルファー
#オリンピックゴルフアメリカ合衆国代表選手
#フロリダ州の人物
#1978年生
#存命人物
ジェリー・”バッバ”・ワトソン(英語: Gerry “Bubba” Watson、別表記 ババ・ワトソンなど、1978年11月5日 – )はアメリカ・フロリダ州出身のプロゴルファー。
PGAツアーでは稀なレフティ(左打ち)ゴルファーで、ツアートップクラスの「飛ばし屋」でもある。
PGAツアー2年目の2007年は、ドライバーの平均飛距離が315.2ヤードでトップ、ボールの時速は194マイル(=約312キロ)にも達するなど記録を残し、ツアーメンバーの中でも350ヤード以上飛ばせる数少ないプレーヤーの一人である。
2012年4月のマスターズ・トーナメントではルイ・ウェストヘーゼンをプレーオフの末破り、メジャー初勝利をあげた。
2013年はツアー未勝利に終わったが、2014年のマスターズでは新鋭ジョーダン・スピースらを退けて2度目の優勝を遂げ、世界ゴルフランキングで3位にランクインした。
1978年、フロリダ州バグダッド生まれ。
フロリダ州ミルトン高校のゴルフ部のメンバーであったが、この部には後のPGAツアーメンバーであるヒース・スローカムやブー・ウィークリーらも在籍していた。
高校卒業後進学したアラバマ州フォークナー・ステート・コミュニティ・カレッジでは短大の全米代表としてプレイした。
その後2000年と2001年はジョージア大学に在籍し、2000年にはジョージア大学のチーム「ジョージア・ブルドッグス」をサウスイースタン・カンファレンスの決勝戦まで導いた。
2003年にプロ転向し、2005年までの間はネイションワイドツアーに参加した。
2005年のネイションワイドツアー賞金ランキングで21位になり、2006年からのPGAツアー出場権を獲得。
ルーキーイヤーの獲得賞金総額は1,019,264ドルで賞金ランキングでは90位であったが、ドライバーの平均飛距離は319.6ヤードでトップであった。
なお、ワトソンのPGAツアーでの最長飛距離は2010年ソニー・オープンで記録した416ヤードで、プロ転向後ではネイションワイドツアー時に422ヤードの記録がある。
2007年、オークモントカントリークラブで開催された全米オープンでは初日70打、2日目71打と好スタートを切ったが、首位と1打差、最終組でスタートした3日目と最終日4日目は74打とスコアを伸ばせず、最終順位は5位タイであった。
2010年6月、コネチカット州クロムウェルで開催されたトラベラーズ選手権でPGAツアーでの初勝利を飾った。
コーリー・ペイビン、スコット・バープランクとのプレーオフを制したワトソンは、勝利した後妻アンジーと抱き合い涙を流して喜んだ。
2010年8月にウィスリングストレイツで開催された全米プロゴルフ選手権では、マルティン・カイマーにプレーオフの末敗れ、初メジャータイトルを逃した。
なお同選手権では、最終ホールまで2位以下に1打差をつけて単独首位であったダスティン・ジョンソンが最終ホールにおいてバンカーでソール(クラブを地面に付けること)してペナルティを受け、優勝はおろかプレーオフ進出を逃す出来事があった。
3ホール制のプレーオフで1ホール目はワトソンが、2ホール目はカイマーがバーディーで勝つイーブンの状態であったが、迎えた3ホール目でのワトソンの第2打がウォーター・ハザードに入り、結果カイマーがメジャー初勝利をあげた。
2011年プレジデンツカップに出場したワトソン。
2011年1月30日、ワトソンはファーマーズ・インシュランス・オープンでフィル・ミケルソンに競り勝ち、PGA通算2勝目をあげた。
また2011年5月1日のチューリッヒ・クラシック・オブ・ニューオリンズでは2011年シーズンの2勝目、PGA通算では3勝目となる勝利をあげた。
このプレーオフでは、1ホール目は両者ともバーディーであったが、2ホール目にもバーディーを決めたワトソンがウェブ・シンプソンに競り勝った。
2011年7月、スポンサーとの契約の関係で出場したアルストム・オープン・ド・フランスでは、第1ラウンドの後欧州ツアーではもうプレイしないと示唆した上、第2ラウンド後に大会の警備や運営体制に不満をもらしたことで批判を浴びた。
なお2011年1月のヒュンダイ・トーナメント・オブ・チャンピオンズでチャリティとして開催されたロング・ドライブ・コンテストに、ダスティン・ジョンソンやロバート・ガリガスらと共に参加している。…